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自分の番(相田みつを)

父と母で2人 父と母の両親で4人 そのまた両親で8人…こうして数えてゆくと 10代前で1024人 20代前では…? なんと、100万人を超すんです
過去無量の いのちのバトンを 受け継いで 今、ここに 自分の番を生きている それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです
私たちは1人の命で生まれ生きて来たわけではないですね。私たちには必ず両親がいます。そしてその両親にも必ず両親がいます。そうやって人間…全ての生物は命のバトンを受け継いで生きているのです。今までも。そしてこれからも…
それを踏まえた上でこの詩が生きてくるのではないでしょうか
ご先祖の血 みんな集めて 子が生まれ
ですが、最近の世の中の風潮はこのような感じではないでしょうか。
親孝行したい時には 親は無し
親孝行したくないのに 親がおり
私たちには、自然と決められた「両親」がいるように、かけがえの無い「絆」という縁で結ばれた人達がいます。友人であったり先輩であったり先生であったり子供であったり…ですが、その中でも特に縁を感じさせる関係はやはり両親を含む「先祖」ではないでしょうか。
歴史の教科書に載っている素晴らしい人物も、色んなお大師さまも、みんな最初は私たちと同じ「人」だったんですね。
仏も昔は人なりき 我らも終には仏なり
仏さまも昔は人であったし、私たちもいつかは仏になれるのではないでしょうか。皆さんのご先祖さまも今では立派な仏さまになられている事と思います。


そこで…
見えなくても 美しい花を 供えたい
食べなくても 美味しいものを 供えたい
聞こえなくても 一緒に話がしたい
そんな気持ちでご先祖さまを供養したい
という気持ちで先祖さまに両手を合わせる心のゆとりが欲しいものですね。今の世の中、心と体のバランスが崩れてきています。心にゆとりがないんですね。手を合わせる時間はほんの5分でも1分でもかまわないのです。まずは手を合わせて、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、先祖の皆さんと心でお話される事が大事なんではないでしょうか。

良源さん

良源さん
源(りょうげん、延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日)は、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんさんだいし)の名で知られる。比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。
源は、第18代天台座主(てんだいざす、天台宗の最高の位)であり、実在の人物であるが、中世以来、独特の信仰を集め、21世紀に至るまで「厄除け大師」などとして、民間の信仰を集めている。


略歴
厄よけの大師さまとして知られる元三大師。元三慈恵大師・良源上人(912~985)は、正月三日に亡くなったのでこの呼び名がある。
疫病が流行していた永観2(984)年、元三大師は鏡の前で座禅をし、自らの姿を骨ばかりの鬼に変え、その姿を写した弟子の絵を、お札に刷って家々の戸口に張るように命じ、疫病を退散させた、という。自ら鬼となって魔物と闘うので、降魔大師の名がある。
大師は深大寺に自刻像を納めたが、室町時代に深大寺が火事になったとき、元三大師像だけは五大尊池に自ら飛び込んで無事だったという。
ちなみにこの元三大師さま、実は「おみくじ」を最初に考案した人です。
角大師・豆大師
角大師-2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の像を表した絵である。伝説によると、良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるという。角大師の像は、魔除けの護符として、比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られた。


豆大師-紙に33体の豆粒のような大師像を表した絵である。慈恵大師(良源)は観音の化身とも言われており、観音はあらゆる衆生を救うために33の姿に化身するという「法華経」の説に基づいて33体の大師像を表したものである。

山家学生式(さんげがくしょうしき)



「国宝とは何者ぞ、宝とは道心(菩提心)なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。


故に古人の言わく、径寸(けいすん)十枚これ国宝に非(あら)ず。
一隅を照らすこれ則ち国宝なりと。


古哲又言く、能(よ)く言いて行うこと能(あた)わざるは国の師なり、能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり。能く行い能く言うは国の宝なり。


三品(さんぽん)の内、唯言うこと能わず行うこと能わざるを国の賊と為すと。


及(すなわ)ち道心あるの仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す。


悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。」






(国宝とは何であろうか?、宝とは仏道を求める心、菩提心である。その心ある人を国宝と名付ける。それ故に、古人(斉の威王)が云うように径寸十枚(直径が一寸もある宝石が十個)は国宝とは云えず、一隅を照らす人こそ国宝である。古の哲人(後漢の牟融(ぼうゆう))もまたこう云っている。良く説くが行動しない人は国の師である。良く行動するが、説く事の出来ない人は国の働き手である。良く行動し、良く説く人は国の宝である。上中下の中で説くことも出来ず、行うことも出来ない者を国の賊と云う。すなわち、菩提心のある仏弟子を西(インド)では菩薩といい、東(中国)では君子と云う。人のいやがる事は自分が引き受け、人の好むことは他人にゆずり、自己の利害、損得を忘れて、他人のために尽くすことが最上の慈悲である。)

◎先祖供養と日本人の霊魂観◎

卑彌呼の時代の三世紀頃の日本を記述した『魏志倭人伝』には、
倭人(日本人)が死ぬと十日あまり遺体を安置して、肉食を慎んで、喪主はその前で哭(な)き、他の者は集って歌舞飲食し。そして葬送がすむと全員が禊(みそぎ)をして穢(けがれ)を祓(はら)う。
とある。安土桃山時代の天文三(1549)年に日本を訪れた、聖フランシスコ・ザビエルは、本国に次の様に報告している。
日本の信者には、一つの悲嘆がある。それは私たち(キリスト教の宣教師の事)が教えること、即ち地獄へ堕ちた人は、全然救われない事を非常に悲しむのである。亡くなった両親をはじめ、妻子や先祖への愛の故に、彼等の悲しんでいる様子は哀れである。死んだ人のために大勢の人が泣く。そして私(ザビエル)に尋ねるのである。祈りをもって死んだ人を助ける方法はないものかと、尋ねるのであるが、私はただ助ける方法はないと答えるのみである。


熱田神宮に裁断橋と呼ばれた橋の欄杆(らんかん)が今も史跡として熱田神宮の近くに残されている。その擬宝珠(ぎぼし)の銘文には、豊臣政権樹立の仕上になった天正十八年の小田原北条氏との戦いで死亡した十八歳の堀尾金助の母親が、三十三年後の元和八(1617)年に、息子の供養の為に橋をかけたとあるのである。銘文には、ふためとも見ざる悲しみのあまり、今この橋を掛ける成。母の身には落涙(らくるい)ともなり、即身成仏し給へ、…後の世のまたのちまで、此の書付を見る人は、念佛申し給へや三十三年の供養也。とある。


新魂(あらみたま)は荒魂?


 これら資料によれば、日本人の霊魂観には、死後まもない魂は、ケガレが多くそのままにしておいては、祟りやすく恐ろしいと言う観念が濃厚に存在していた事を前提にしなければならないのである。


 即ち新魂(あらみたま)は、同時に【荒魂】であったのである。そしてそれらは、子孫の社会に災をもたらすものと考えられたのである。【荒魂】はできることならば一定の場所に封鎖鎮魂しておく必要があったとされている。こうした荒魂を鎮めるためには、『魏志倭人伝』にある歌舞飲食とあるのは、何らかの宗教儀礼がおこなわれた事を推定させる。仏教の伝来に伴って、教理としての仏教と言うよりは、お経や念仏の力によって生前の罪を滅ぼす事が出来ると信じたのであった。


 日本の庶民が罪と感じるのは、社会にたいして迷惑をかける行為にほかならない。その罪は、社会のために何か良い事を行なう事。つまり善根によってその罪を贖(あがな)うことができると考えたのである。殺人を犯した人が、民衆の為に橋を掛けたり。トンネルを造ったりした話は有名である。熱田神宮の裁断橋はまさにそうしたものであった。


 四国では、善根宿といって巡礼者を無料で宿泊させたり。食物を与えたりしたのである。今からもう30年ぐらい前、小生も学生の頃、四国お遍路を1週間ぐらい徒歩で回ったおり、お百姓さんが、お接待お接待といって、道すがら通りかかるとお金を頂いた経験があります。作善追善供養善根をする事つまり【作善】は、本来は生前に行っていくべものであったが、家族や子孫が、本人の死後代って行なう。つまり追加して善を行なうから【追善】になるのである。追善は僧侶に頼んでお経を読んでもらうことだけでなく。社会にたいして善根を積むことでもあるのである。


 それは、仏教の『慈悲』の教えと共に、日本人の運命共同体の意識から出たものであろう。社会全体と共に生き、集団往生しようとする日本人の精神生活のあらわれであった。死者の霊は、死の直後は、祟りやすく荒れる魂であったが、滅罪鎮魂供養を重ねるにしたがって、だんだんと鎮魂されて一周忌、三回忌と滅罪追善供養の贖罪儀礼を経過するに従って、一層浄化されて、神もしくは仏に近づいていく、我々の先祖は、大体この様に考えたと、多くの宗教民俗学者は説くのである。庶民は、こうした霊魂説だけでは満足せず、その魂や罪には、重量があると考え。子孫に追善供養もしてもらえない魂は、いつまでたっても軽くならないで、生前の罪を背負ったまま、地獄の底に沈殿して文字どうり【うかばれない】のである。ザビエルに地獄から救われる方法は、ないと軽くあしらわれた事の解答を、日本人自身でここに見出していたのである。


 この様に日本人は、死者の霊魂の存在を強く信じたのである。これを慰めたり、鎮めたりして、やがてその恩恵を受ける事を祈念する民族であった。それも、歌謡曲の歌詩の通り、現在・過去・未来と続く系譜的霊魂の実在を信じて疑わなかったのである。葬式や供養に代表される所謂『葬式仏教』が、日本の『家』の原理を少なからず支えており、いささか、坊主の自満足的言い方をするならば、日本の社会秩序と歴史の根底をなしていたと思うのである。宗教は個性を埋没して絶対者に帰依するものであるが、庶民にとっては極めて抽象的で難解であった。それを日本の庶民は以上述べた霊魂観にもとずいて、以下の様に理解したのである。


 即ち、生きている人間はなまじ肉体を持つ故に、有限である。しかし霊は、その有限なるを捨てた為に、無限大であり、万能になったのである。仏教の説く『ほとけ』は、即ち覚者であり、正覚を得た者、悟りを得た者と、同列に無限・永遠・万能になった霊は、同じと解したのである。即ち、死者・祖先の霊・そして仏教の説く【仏】この三者をみな同じものであると、実に平易で解りやすい庶民の仏教理解であったのである。


 それ故に、日本人は、仏檀に①仏教信仰の対象として仏を礼拝して、その加護を願い、奇跡を祈る聖檀と同時に又②先祖を想い感謝して加護を祈る祭檀でもあったのである。つまり家の中には仏檀があり、朝夕冥福を祈る、そこには、死者の御霊と共に生活していると言う慰めの心があった。仏壇を介しての先祖に象徴される見えない影の存在の部分を、少なからず無意識に意識していたのである。そして『庶民のより良く生きたい』と言う願望を、葬式仏教に象徴される仏教に託してきたのである。それは現在の自分・過去の霊魂・未来子孫全ての者が『より良く生きることへの切実な祈りであったのである。そしてその事を、庶民は焼香と言う動作を通じてあの世とこの世、生者と死者はお互いに交流できると信じたのである、香の煙が空中に漂いあの世にいる、先祖や知人に自らの気持ちと祈りが通じると信じ、焼香と言う動作に心をかよわせてきたのである。こうした日本人の祖霊観や霊魂観を理解しないと、現代の仏教を形式主義の『葬式仏教』であると、自らの都合の良い論理で理論武装して、日本人の祖霊感や霊魂観にたいして理屈以前の、心からの共感と共鳴を覚えずして、単なる経済行為に終始しては、遺族や死者に対しての冒涜であり、坊主自らの自己欺瞞である。勿論我が宗派が、先祖供養や葬儀だけを目的とする宗教では、ないこと事は言うまでもないのである。


 我々僧侶の側(宗教)にいる者は、ともすれば、魂の救済、絶対者への帰依といった要素を欠くものは、宗教でない。とする確信に満ちた信念を持っておられる方も、皆無ではないと言うより、ほとんどの方が表面上(建て前)は、そうかも知れない。それは仏教なり宗教を別格の領域や概念・観念に押し込めてしまう事なのではなかろうか?。宗教に高級とか低級とか、そんなランク付けをする意味があるのか小生は、大いに疑問に思うのである。七五三に産土神に参り、ご法事には、僧侶を招いて読経し供養する。新年には、神社に初詣に参る。これが日本人のある意味では、極めて健全な姿であるかも知れない。すくなくとも宗教を原因に同じ民族が争うそんな事態は、我が国には無かったのである。


 明治以降神道擁護の立場の人からは、死して、肉体は朽ちはてて、跡はなくとも、なおこの国土に留りて、その縁絶ちがたく毎年日を定め、子孫の世に出る姿を見たいであろうに、仏教は、こうした日本人の願を、極楽往生・成仏などと言って、此の世に出てくる事が、さも心得違いの如く余りにも遠くへ送りつけ様とした事に対して、排撃を受けたのは、記憶に新しいところである。しかし、無名の庶民の智恵は、こうした日本人の…なおこの国土に留りて、その縁絶ちがたく…に代表される日本人の霊魂観と、仏教の極楽往生、成仏という。二者選択をせずに、たくみにに霞染め染物の様に日本人固有の霊魂観を習合・同化・融合して造りあげてしまったのである。卓越した日本人の智恵であった。外国の文化や技術を巧に融合・同化するのは、なにも近世にはじまったのではなく、日本人の特技であったのである。現代の日本は、独創性に乏しく、外国模倣にすぎないと痛烈に世界から非難されると、世界の孤児になる危機感を煽り、やたら良い格好して金をばら撒く政治家には、困ったものである。


おわりに


 物質主義から、人間主義とでも言うべき精神への回帰を切望する現代にあって。こうした『葬式仏教』に象徴される日本人の霊魂観を、粗末に扱っていないか。それは、現代の日本人が、過去の霊魂観に代る新しい宗教や生きがいを創造し、発見したのではなく、日本人の霊魂観や「死」と言うものを、忘れたふりをしてひたすら「生」を求める余り、「死」を恐怖するばかりでないか?


 そして自分自身では、その解決の方法が見い出せないとするならば、我々の先祖が造りあげてきた、葬式仏教に象徴される。習俗や習慣・年中行事の意義を再度考え、現代に生きる日本人が、過去から受継ぐ伝統や霊魂観を、後世の人に伝承したいものであると思うのである。

お彼岸のあれこれ



「暑さ寒さも彼岸まで」といい、一年中で一番良い季節にお彼岸の日があります。家族そろってご先祖霊への感謝を捧げましょう。


お彼岸とは
お彼岸は年二回、三月の春分の日と九月の秋分の日を「中日」として、その前後三日ずつを合わせた一週間を「彼岸」といいます。
お彼岸という言葉は古代インド語の「パーラミター」を「到彼岸」と訳したことに由来します。極楽浄土という理想の郷(悟りの世界)を意味しており、迷いや苦悩に満ちたこの世の「比岸」(しがん)に対して理想の彼方のところ(彼)をさす言葉です。仏教では悟りをひらいた人は彼岸にたどり着く事ができるとされています。
お彼岸にはお仏壇やお墓を美しく整え、花や水、故人の好物をお供えし、線香や灯明をあげて供養します。なお、彼岸の行事は、インドにも中国にもない日本独特の行事です。
また、彼岸に到達するために、「六波羅密」という六つの実践方法をすすめています。
1.「布施(ふせ)」自分の持っているものを他の人に感謝の心で施しをする
2.「自戒(じかい)」いましめを守る
3.「忍辱(にんにく)」不平不満をいわず正しい心を持ち続ける
4.「精進(しょうじん)」精進努力する
5.「禅定(ぜんじょう)」常に心の平静を保つ
6.「智慧(ちえ)」ありのままの真実の姿を見つめ智慧を働かせる


お彼岸のお供えについて
お彼岸には、ご家庭でお供え物をつくりお仏壇にお供えしましょう。
彼岸の入りには、ご家庭のお仏壇の中やまわりをいつもよりていねいに掃除して新しい水や花、それに、故人の好物、季節の果物や五目寿司やおはぎ、彼岸団子などをお供えします。
近ごろではお彼岸のお供え物も買い求めてしまうことが多いようですが、できればご家庭でつくり、お仏壇に供え、お墓に供え、近隣の人、友人知人にも配りましょう。
これはまさに自分の持っているものを他に分けあたえ共に喜ぶという、お布施の精神そのものです。
お彼岸には、お盆のときのような儀式としてのしきたりはありませんが、人間の原点ともいえる行事です。
お彼岸の間は毎日、朝晩、お仏壇に灯明やお線香をあげて礼拝し、お供え物を絶やさないようご供養してください。
春牡丹、秋は萩になぞられた、日本ならではの美しい言葉です。
お彼岸のお供えになくてはならないものが、ぼた餅やおはぎです。
どちらももち米を蒸したものを丸めてそれに甘く煮た小豆をからめたものです。
両者のちがいは、春彼岸には牡丹の花をかたどって丸く大きめに、秋彼岸には、萩の花をかたどってこぶりで長めに丸めてつくり、春は「ぼた餅」、秋は「おはぎ」とよんだといわれます。
日本人の季節関する繊細さが美しく表現された言葉ですね。
お彼岸がきてもお参りするお墓がなくても、心を向けて…。


お墓参り
昔からお彼岸には、自分の家のお墓だけでなく、親類、縁者、知人などの家のお墓にお参りする習慣があります。
お墓がないんだけどなどとおっしゃらないで、平素ご無沙汰しているお世話になった方のお墓、亡き恩師のお墓などを先方には黙ってお墓参りをしてあげることです。
ご自分のお墓にお参りしてみたら、誰かがもうお参りして、花や水がお供えしてあったら、お互いに気持ちのよいものです。
お彼岸は、お中日を中心とした修行週間ですから、たとえお墓がなくても心がけてみてはいかがですか。


お彼岸の夕日には功徳があるというのは本当?
春分、秋分の日は、ご存じのように、昼と夜の長さが同じになって、太陽は真西へと沈みます。
この日をはさんで前後一週間が「お彼岸」です。だから「お彼岸の中日」の夕日には功徳があり、その彼方には極楽浄土があるといわれます。
お彼岸にはご先祖様のご供養とともに、ご自分の浄土への願いも込めて、春分、秋分の日には、ご家族そろって西日の沈む彼方に向かい、胸の中で念仏をとなえてみたらいかがですか。夕日の向こうには、極楽があることをこころに描いて。

失敗を成功に変える方法



ある落語家が、寄席の舞台から足を踏み外し、客席へ落ちてしまいました。


彼は、腰をさすりながら再び舞台へあがるなり「どうも。ラクゴシャです。」と一言。


「落後家」と「落伍者」をかけたうまいシャレに、観客はどっと沸きました。


失敗に、ひどく落ち込んで気持ちを暗くするのは、愚かな事です。


何かを失ったり、大勢の前で恥をかくのを恐れるあまり、挑戦する事から逃げるのは、もっと愚かです。たた一度の人生なのに、とてももったいないことです。


これに対して賢者は、その恥ずかしい失敗を、むしろ楽しもうとします。


失敗を笑い話にかえて、明るく語る事が出来ます。


生きている限り、失敗を経験しない人なんていません。


どこかでドジを踏むたびに、いちいち落ち込んでいたのでは、常に心を前向きに保つ事は難しいでしょう。だからこそ、恥ずかしい失敗は明るい「笑い話」に変えてしまった方がいいのです。


皆を元気に出来たなら、その失敗は無駄ではなかったという事。


もちろん失敗から学び、反省する事は大切ですが、必要以上に悩み、恥じることはありません。


多くを失敗する人ほど、多くを学ぶものです。


誰でも失敗するものと割り切って、失敗を恐れる心を解放する事が一番なのです。

精進

経典にはこのような言葉がございます。「一切の生まれる者は、皆必ず死に帰る。盛んなる者は必ず衰え、会う者には別離がある」


人は必ず死にます。栄えた者は必ず衰えます。巡り会った人とは必ず別れがあります。世の中の者は移ろい行くものであり、固定したものではないと仏様は教えます。


浄土宗を開いた法然さんは、精進に突いてこのように言っております。
「一丈の堀を乗り越えようと思えば、一丈五尺を超えようと励め」
人は生きている限りその時々を一生懸命に励まなければなりません。仏教は執着を離れ、こだわりを捨てよと教えますが、それだけではありません。この法然さんの言葉のように懸命に励めと教えています。


経典に「光陰むなしく渡ることなかれ」とあります。「光陰矢の如し」といい、歳月はまたたく間に過ぎて行きます。したがって無駄な時間を過ごしてはいけない。懸命に励めと教えるのです。


高校野球の監督がこんなことを言ってました。
練習をきつくやってももう一つ強くならない。そんな時、アメリカの高校や大学の野球を見る機会がありました。そこでの練習風景は、選手同士がジョークを交わし、笑顔が絶えず、実に楽しそうでした。ミスをしても誰も怒りません。ここで監督は「そうだ、自分の学校ものびのびやらせてみよう」と思いました。そしてアメリカと同じようにのびのびと選手達にやらせると、当初は確かに勝てたそうです。しかし、次第に弱くなっていき、しまいには全く勝てなくなりました。その原因は、自由やのびのびは、わがままや手抜きを生んでしまうからなのです。


人はとかく楽をしがちであり、経典はしれだからこそ、懸命に励めと教えているのです。
皆が眠っているのなら。その時こそ眠らず励め、そうすると一気に皆を追い越して行く。こう記しています。


弘法大師は「一切の生けるものは皆自分の両親であり先生である」と言っております。このことは「自分以外、皆人生の師匠なり」という言葉にも通じます。要は学ぼうという気持ちが大事であり、そうでないとどんな言葉も耳に入りません「馬の耳に念仏」ですね。

経典の中にはいい言葉がたくさんあります。
例えば般若心経に、色即是空とあります。

色は即ち空であるとしますが、男女の色事はむなしいという意味ではありません。色とは形あるものの意味です。例えば人の形はここにあるけれども、それは幻であり、本来は何も無い。空であると教えます。一切皆空といいますが、そのように見るとこだわりが消えて行きます。仏教の思想の一つの柱は、簡単に言いますとこだわるなということであります。空という言葉はこれを表したものであります。進学や就職に力を注ぎ、うまくいかなければ悩みます。しかしそのこだわりを捨てると心が広々となります。一旦こだわりを捨てて、自由の境地になり、そこでもう一度自己を見つめ直しなさい。という事なのでしょう。

一隅を照らす

先日、東京に行く用事がありました。父が心不全で倒れ、そのお見舞いがてら久しぶりに東京に帰ってみようと思ったからです。飛行機で帰りましたが羽田空港は節電のせいか、色んなところの電気が消えていました。その時に「津波の影響はここまで来ているのか・・・」と実感したのでした。


TVでは原子力発電所の放射能の問題や被災地の困難な状況、未だに見つからない行方不明の方達・・・等、情報としては理解していたのですが、やはりどこか対岸の火事みたいなところがあって、「まぁ色々大変だろうけど、大丈夫だろう。」なんて甘く見てたのでした。


空港から電車で家まで行きましたが、その最寄りの駅でもやはり節電のせいか、看板の電気や、自販機の電気が消えています。パチンコ屋さんもネオンは消えていますが、営業はしているようでした。タバコの自販機は全てが売り切れ・・・そういった状況が至る所で目に入ります。


そんな状況ですから自然と街にいるサラリーマンや仕事をしている方々の表情もなんか暗く、街の雰囲気も何となく暗いような感じを受けました。


父は病院から退院していて、家にいました。思っていたよりも元気な姿で安心しました。ですが、やはり大病を患ったものですから、家の雰囲気はどこかどんよりしていました。


先日、久留米駅で托鉢を行いました。たった2時間くらいで7万円以上も集まり、驚いたものでした。また自坊の行事で一声かけましたところ、たった一声かけただけなのに、3万円以上もの浄財が集まり驚いたものでした。


私は九州に住んでいますが、こっちはやはり元気があります。そして、元気なせいか、よく笑顔の方を見かけます。やはり、一人一人が元気があると街全体も元気に見えてくるものですね。


東日本は未曾有の大震災に遭っています。そして、それは対岸の火事ではなくやはり遠くはなれた九州でも同じなのです。私たちに出来る事は限られていますが、その中でも、被災されている方々や、救援に向かわれている方々、支援している方々に元気を分ける事ではないでしょうか?もちろん浄財を寄付する事も大事です。それをした上でそれぞれが明るく元気に振る舞う。そしてその幸せな気持ちを少しずつ色んな方にお裾分けをする。それをする事で始めは小さい輪でも皆がする事によって大きな輪になり、やがては日本を覆う様な幸せの輪になる事と思います。


一人一人は小さな明かりでも皆が照らせば大きな光になるのです。


今、まさに宗祖伝教大師様が言われている「一隅を照らす」運動が大事なのです。

日々是好日なり


山のあなたの空遠く  幸い住むとひとの言う   (カール・ブッセ)



という言葉ではじまる有名な詩があることをご存じの方も多いでしょう。


 人間というものはまことにやっかいな存在で、現在の自分にはなかなか満足しないものです。 もっとも、だからこそ進歩も発展もある、ということはできますが、忘れてならないことは、それでは、どうなったら本当に満足できるのか、ということではないでしょうか。


 メーテル・リンクの「青い鳥」によってもまことに明らかなように、「幸せの青い鳥」をいくら外で探そうとしてみたところで、「わが家」以上の「幸せな場所」などどこにもないのです。


 それにもかかわらず、若いころには早く成長すれば幸せになるにちがいない、と錯覚し、年を取ると「若いころは幸せだったなあ」と過去をなつかしんで涙しているのです。
 「明日になればきっと幸せになれる」と信じるのは勝手ですが、そのために努力することだってきわめて大切ではありますが、今日幸せだ、と感じることができない人が、はたして明日になったら本当に幸せだ、と感じることができるかどうか大いに疑問ではありませんか。


 世の中には、老若・地位・健康・男女・学歴・経歴・職業などを異にする、さまざまな人々が存在しているのですが、それらを超越してだれでもが幸せになれる道を説いているものこそが宗教ではないでしょうか。
 多くの宗教では、この世で幸せになれなかった者たちにたいして、次の世こそが理想の世界である、といった教義を説くことにもなってくるのですが、正直なところ、一般の人々にとってみれば、行ったことのない来世のことよりも、現実に生きているこの世での毎日の生活のほうこそが大切なのではないでしょうか。
 そうなってきますと、残された方法は、ただ一つということになるでしょう。

安かりし 今日の一日を 喜びて  み仏の前に ぬかづきまつる (大谷姙子)



 朝、目がさめたときに、「さあ、今日一日を絶好の日にするべく全身全霊をもってがんばろう」と誓い、せいいっぱいの努力によって得ることのできたその日一日の結果を、「本当に良い一日だったなぁ」と喜んで受けとめることができたならば、同じように素晴らしい毎日を積み重ねることができるはずなのです。


 そして、そのような毎日の積み重ねによってやがて一生を終えるころになると、「自分の一生はほんとうにすばらしい一生だったなぁ」と振り返ることができるのではないでしょうか。


 お釈迦さまが説いているように、たしかに人間にとってのこの世の中というのは、四苦八苦に代表される、さまざまな苦しみによって満たされています。


 すなわち、生まれたものはやがて老い、病にかかり死んでゆく、という苦しみの他に、愛する者たちとは永遠に離別し、怨み憎む者たちとも会ったり話たりしなければならず、そして、求め探しているものを得ることができない、といったさまざまな苦しみが、私たちを襲ってくるのです。


 それにもかかわらず、私たちの一人一人は、死ぬその日まで生き続けてゆかねばならないし、せっかく生きている毎日ならば、その中で喜びを見出してゆくことが大切なのではないでしょうか。


 過ぎ去った日々を後悔の念をもって思い起こすのではなく、ぜったいに戻ってはこない、今日という一日を、せいいっぱいに生きることこそが、人間として生まれさせてもらった私たちの本当の生き方なのです。


 心地よい風を身体に受けながら、天空にかかる美しい月を眺めることができる幸せ、ということならば、だれにでも感じられるはずなのです。


 大切なのは、花が咲いているときにはその花を喜び、満月を眺めているときにはその月の美しさを観賞して、そこに生きる喜びを見出すことなのです。


 たしかに自然現象の一つ一つは、なにも私という一個人のためにあるわけではないのですが、太陽が東の空に昇るのも、真っ暗な夜に月が天空にかかるのも、暑い夏の夜に涼しい風が吹いてくるのも、そして、寒い冬に真っ白な雪が降ってくるのも、それらはすべて私の人生を意味あるものにするためであった、と受け取ったときに、その人の人生の一日一日が、まことに有意義なものになってくれるのです。


まさにそういうひとにとっては、

「日日是れ好日なり」 なのです。



 我々は、生まれた瞬間から、たとえそれがいつ訪れるかはわからないものの、死に向かって一歩一歩近づいていっていることだけはまちがいないことなのです。
 そういった無常の人生の中で、今日過ごすことのできた、一日を二度ともどってこないすばらしい絶好の一日であった、と受け止めたとき、その人の生命は輝いているといってもよいでしょう。 

ありがとうのお話

世の中にはいろんな人達が生活していますね。黒いカバンを提げ忙しそうに早足で歩くスーツ姿のサラリーマン。周りを全く気にせず、自分達の世界に入り込んでしまい、オシャベリに夢中になりながら歩くオバチャマ。激動の時代を仕事一筋ですごし、定年後目標を失ってしまい家の中にも居場所が無くなってしまい、街へ出て時間をつぶしているような方。老若男女さまざまな人々が生活しています。


その人たちの百年後のことを考えてみましょう。ほぼ全員が寿命を終えているでしょう。しかし、百年後のその場所には、やはりさまざまな人々が生活しているでしょう。そう考えると、いま生きている人たちが、ガイコツが洋服を着て生活しているように思えてしまいます。


人の数だけ死があります。そして、百年後に生きている人たちは、今の人から生命を受け継いだ人たちです。それはまるで、植物が枯れて種を残すという自然のサイクルと同じです。そこに大きな力の存在を認めて、それを信じることも必要でしょう。見えもせず、聞こえもしないものを信じるのが信仰であり、それは人間に大きな力を与えるものと思います。


私達は、さまざまな方法で亡くなった方(ご先祖様はもちろん、それ以外の方も含め)の供養を致します。その時ほとんどの方は、なくなった方を偲び、悲しみのうちに冥福を祈っていると思いますが、故人に対する最高の手向けは悲しむことではなく感謝することだと思います。
事あるごとに故人に対し、ありがとうを繰り返すと、悲しい心に光が灯りはじめ、新たな気持ちが湧き上がってきます。そして故人の分まで大切に生きよう、充実した人生を送ろうという気構えが起きるでしょう。
ある人は、「ありがとう」を繰り返すうちに悲しみがしだいに消えてゆき、幸せが舞い込むようになったと申しておりました。そして深い悲しみはいつしか故人への深い感謝に変わり始めていたそうです。


「ありがとう」は私達が普段何気なく使っているお礼の言葉です。この「ありがとう」の語源は「有り難し」、つまり「めったにないこと」という仏教語です。


私達がこの世に生まれ、そして今こうしてここに生きているということは、大変に難しいことです。まずは今、ここにこうして生きているということに感謝すべきです。


こんなお話があります。ある飛行機の国内線での出来事です。


その夫婦は、昨年交通事故で亡くなった息子の写真を持って北海道に旅行に行きました。帰りの飛行機で窓の景色を見ると、雲の間から頂を出している富士山がとてもきれいだったので、亡き息子にも見せてやろうと思い、遺影を窓に向けていました。そこへ機内サービスの飲み物を配っている客室乗務員さんが来ました。彼女は夫婦の飲み物を配り終わると、さらに一杯のジュースを差し出しました。そして「お写真の方にもどうぞ」と言ったのです。その瞬間、この夫婦は感激で言葉も出なかったそうです。たった一杯のジュースが、こんなにも人の心を熱くさせたのです。


もう一つ、ありがとうのお話をしたいと思います。


「花屋さんに小さな男の子がきて、お花を下さいと言いました。店員さんが、『誰かにプレゼント?』と聞くと、うつむいて小さな声で『お母さんに』と答えました。店員さんが赤いバラと黄色いチューリップを何本か取って組み合わせようとすると、『ダメだよ。白い花なんだ』とその男の子は言いました。店員さんは『どうして?』と聞くと、その子は、『お母さんは仏さまになったから』といい、百円玉を二枚差し出しました。これを聞いて店員さんはお金を受け取り、今度は白いチューリップをいっぱい取り出しました。そして丁寧にラップに包んで大きな真っ白なリボンをかけて手渡しました。男の子は大きな花束を抱えて「ありがとう」と言って駈けていきました。この花屋さんの店員のやさしさを見習いたいものです。


 私達は自分一人だけの力では生きて行けません。世の中すべてのものに支えられ、多くの犠牲の上に生かされているのです。このことを忘れず肝に銘じていれば、どんな時でもあらゆる自分を取り巻く環境に感謝をすることでき、感謝できる自分が幸せであると実感できるでしょう。

キサゴータミーのお話

ある町に、キサゴータミーと呼ばれる女性がいました。彼女は結婚してかわいい男の子を生んだのですが、まだ幼いときにその子が死んでしまったのです。彼女は半狂乱の身になり、冷たく死んでしまった男の子を抱き、巷をさまよいます。「誰かこの子に薬を下さい、この子の病を治して下さい」 ある人が見るに見かねて、彼女にお釈迦さまのところへ行くように勧めます。


お釈迦さまはこう言います。


「ゴータミーよ、よく来ました。この子の病を治すには、ケシの実が必要です。町に出て、四、五粒もらって来なさい。ただし、そのケシの実は、まだ一度も死人を出したことがない家からもらって来なければなりません。」


ゴータミーは町に出て死人を出したことがない家を探しました。しかし、そのような家があるはずもなく、彼女は歩き回るうちにお釈迦さまの言葉の意味を悟ります。わが子の骸を墓地に葬った彼女に、お釈迦さまは尋ねました。


「ゴータミーよ。ケシの実は手に入りましたか。」


彼女は答えます。


「ブッダよ、もうケシの実はいりません。死人を出したことがない家は一軒もありませんでした。どうか私に、道をお示し下さい。」


こうして彼女は仏弟子となりました。


「生まれてきた者は皆死ぬのが定めなのだ」ということを、ブッダはゴータミーに諭しています。このことは、人類がどんなに進歩しても変えることのできないことなのです。万物万象の生きとし生けるものは皆、生まれたと同時に死と隣り合わせに生きてゆかなければなりません、与えられた命の重さと、命の尊さがゴータミーの出来事から伺うことが出来ます。

羽子板と破魔弓の由来

羽子板の由来

羽根つきの羽根の飛ぶ音がトンボに似ている事から、蚊が病気を仲介する事を認識していた昔の人々は、羽根をトンボに見立てました。そのことから、蚊はトンボを恐れ、ひいては子供がかに刺されないという厄よけのまじないとして正月に羽根つきを行っていました。


また、羽根つきの玉には板で突いたときの音が良いという事から、「ムクロジ」という木の、黒くて固い種子が用いられています。「ムクロジ」は「無患子」と書き、「子供が患わ無い」ようにとの意味が含まれています。


江戸時代には羽根つきの板に現在の原型とも言える歌舞伎役者の舞台姿を押絵で仕上げて取り付けた飾り羽子板が登場し、人気が高まり急速に普及していきました。


昭和期に入ると美人画が多く描かれるようになり、衣装も艶やかに華やかになっていきました。また、ケース入りの羽子板が登場し、女児の初正月用の飾り物として広く用いられるようになりました。


このように、羽子板は正月の羽根つきの遊び道具、贈り物、飾り物という用途に加えて、女児の初正月を祝い、邪気をはね除け、美しく無事成長する事を願う為の大切な飾りとなっています。

破魔弓の由来

弓には武勇を表し、更に邪悪を払い、目に見えない精霊を退散させる力ある者という意味と、人間には知る事の出来ない方向と距離を判定する占いの用具としての意味があります。


従って、神社等では平安の頃から魔除けの意味での破魔弓神事や、年占い神事が行われていました。「はま」は弓矢で射る的、もしくは的射の競技を意味する語で、のちに「破魔」の字をあて、魔を射る矢と解されるようになりました。


これらの神事が一般の人々間に広まり、現在のように装飾品として飾られるようになったのは鎌倉時代からだといわれています。そのころから、特に城下町を中心に武家や町人の間に、男児の初正月の祝いに破魔弓を贈る習慣が生まれました。


江戸時代に入ると破魔弓は、飾り物・贈り物として盛んとなり、正月の飾りの代名詞としての地位を確立しました。


その気持ちはいまも変わらず受け継がれ、男児の初正月には、雄々しく、力強く、健やかに育てとの願いを込めて破魔弓は飾られています。

負けてこそ

プロ野球楽天イーグルスの監督であった野村克也氏は、ヤクルトの監督時代、決して強いとはいえないチームを何度も優勝に導きました。 
その野村監督が、優勝するためにしてきたことの一つに、負け試合の研究があると言われます。


ふつうの監督は、どうしたら勝てるのか、ということを一生懸命考えます。しかし、野村監督は負け試合を見つめ、負けた原因を徹底的に調べました。その結果、負けない野球を導き、チームは優勝したのです。


ところで、仏教では生きることと死ぬこと、つまり、生と死を別々に切り離してはとらえません。ちょうど一枚の紙の表と裏のようにたとえられます。表だけの紙がないように、裏だけの紙もあり得ません。
同じように、生きることと死ぬことは切り離すことはできません。言葉の上でも、生と死を続けて書いて生死(せいし)とは読まず、生死(しょうじ)といいます。


勝つこととと負けることも、同じです。勝つものがあれば、必ず負けるものがある。これが勝負です。これまた、一枚の紙の表と裏のようです。
とすれば、野村監督の勝負に対する姿勢を、生きることと死ぬこと、つまり生死の問題に当てはめてみるとどうでしょう。われわれは、勝つことにとらわれるように、生きることにとらわれて、死という事実からは目を背け、逃げてばかりいます。しかし、これでは、勝つことだけを考える勝負といっしょです。


死という逃れようのない厳しい現実から目をそらすことなく、死をごまかすことなく、しっかり見据えていくとき、はじめて生きることが輝いてくるのです。お寺や仏教といえば、すぐに死というイメージが付きまといますが、生を奪う死は、そのまま生きる意味を与えてくれるのです。


野村監督は、負けることを徹底的に見つめ、勝ち負けを越えたチームつくりをして、結果的に優勝しました。


仏教は、生きることと死ぬことを切り離さずに、死をしっかりと問題として、生死を越えていのちいっぱい生き抜く道です。どうぞ、死の準備としてでなく、生きる糧として、お寺のご法座で仏法のご縁をいただいてください。

ご遺誡

弘仁十三年(八二二)六月四日、伝教大師は比叡山中道院で入滅されました。五十七歳でした。
大師の枕元には、光定、義真、円澄、円仁など多くの弟子たちが必死で大師のご遺誡を謹聴していました。
「怨みを以って怨みに報ぜば、怨み止まず。徳を以って怨みに報ぜば、怨み即ち尽く。長夜夢裏のことを怨む莫れ、法性真如の境を信ずべし」
「我が為に仏を作るなかれ、我が為に経を写すなかれ、我が志をのべよ」
「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」
「毎日諸大乗経を長講し慇懃(おんごん)に精進して法をして久住せしめん。国家を利益せんがため、群生を度せんがためなり。努力めよ、努力めよ」
「我れ生まれてよりこのかた、口に麁言(そごん)なく、手に笞罰(ちばつ)せず、今我が同法、童子を打たずんば、我が為に大恩なり、努力めよ、努力めよ」(中略)
「最澄、心形久しく労して、一生此に窮まる」(後略)
このご遺誡を拝読するたびに我が身がいかに逆悪、忘恩の徒であるかを思い知らされ、ただひたすら廟前にひれ伏すのです。
さて、現今この恐ろしい世上で大師のお心を如何に受け止め、万分の一でもお応えする道があるとすればそれは如何なることでありましょうか。
大師がご臨終のその瞬間まで待ち望んでおられたのは、大乗戒壇建立の勅許であった。
大師減後の七日後に嵯峨天皇は仏教界の反対を押し切ってこれを勅許されました。
大師の棺にひれ伏して弟子たちは号泣したに違いない。
この大乗戒壇が比叡山に建立されたことこそが比叡山を日本大乗仏教の母山たらしめたのです。
いま何をなすべきかの答えは自ずと明白なのではなかろうか。
我が志をのべよ、との悲痛な大師の叫びが「大乗戒の心」を現代人に伝えてくれよと聞こえる気がします。
大乗戒は、人間生活の基本的な規範です。
僧侶もそうでない人も異なるところはありません。
悪を止め善を行い、他のためにせよという三原則を行うことです。
しかしこれが我々強欲の凡夫には極めてむずかしい。
だから釈尊は、諸仏菩薩の威神力を凡夫の身に与えて人間がもともと心中に具備している仏心(ほとけごころ)を起こさせる儀式を教えられました。
これが大乗戒の授戒です。
大師は四十歳のとき唐国でこれを受け、これこそ人類が人間として平和に生きて行く根本の教えであると確信されました。
天台宗では平成十八年に開宗千二百年を迎えました。
大師開宗の願いはこの円頓大乗戒を人類全体にひろめることであったことをいま実現しようとしているのです。
これを総授戒運動と呼んでいます。
荘重な儀式に参加して自己が本来持ち備えている仏種に気づき、一度しかない人生に無上の喜びを味わってほしいと思います。
そして一隅を照らす使命に目覚め、手近かなところからこの世を直してほしいと思います。
これが伝教大師のご遺誡ではないでしょうか。

一期一会(いちごいちえ)

 この言葉は掛軸として茶室などでよく掛けられていますが、これは江戸時代末期の徳川幕府の大老であった井伊直弼が著した「茶湯一会集」という茶道の本にある言葉ですね。


「一期」は人が生まれてから死ぬまでの一生のことで、「一会」はただ一度の出会いをいいます。生きているといろいろな人に出会いますね。思えば、今までどれだけの人に出会ってきたのでしょうか?


とても数えきれない出会いがある事と思います。


今年の夏、お盆参りに近所の檀家さんのところにお参りにいった時の事です。ほとんどの家にエアコンがついていますが、その家にはエアコンがついていませんでした。私はエアコンがついていようがいまいが、お経をあげますので結局汗をかいてしまいますから、あまり気にしていませんでした。


いざ、お参りをはじめますと、後ろから心地よい風が吹いてきます。その風はエアコンの様に冷たくはありませんが、優しく身体に良い風でした。


窓は開いていましたが外に風はあまり吹いていない様です。後ろを振り返ってみますと、まだ小学校にも行ってないくらいの小さい子がうちわで扇いでくれていたのでした。私は「ありがとうね〜」とお礼を言いますと。恥ずかしそうに照れ笑いをしながら台所の方へ小走りに行ってしまいました。


その時に私は何とも言えない心温まる思いをしたのです。


今の世の中、たとえ同じ場所に居なくても、携帯電話があれば片手ひとつで人とつながるとても便利な時代です。でも、実際に会ってみて、はじめてわかること、感じることってありませんか?


井伊直弼は茶会の心得として次のようにいっています。


「そもそも茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば幾度おなじ主客と交会するとも、今日の会に再びかえらざる事を思えば、実にわれ一世一度の会なり。さるにより、主人は万事に心を配り、いささかも粗末なきよう深切実意を尽くし、客にもこの会にまた逢いがたき事を弁え、亭主の趣向、何ひとつおろそかならぬを感心し、実意をもって交わるべきなり。これを一期一会という」


ある日の茶会は、たとえ同じ茶室、同じ顔ぶれであったとしても、以前の茶会とは決して同じものではありません。諸行無常、一時として同じ状態のものはない、一切のものは常に変化している。その日の茶会は一生に一度の出会いであると心得て、万事に心を配り、誠意をもって最善を尽くす。井伊直弼はその書の中で説いているのです。


このことは、茶会の心得というだけでなく、わたしたちが接する人との出会いの心得としても大切なことです。今、この時、この場での出会いを大切にして、心をこめて人と触れ合う。今年の夏、私には素敵な一期一会がありました。

五如来のお話

私たち天台宗のお寺では施餓鬼会というものを厳修いたしております。施餓鬼会を行っているところもありますし、していないところもあり、さまざまです。施餓鬼会を行う時には「施餓鬼壇」というものを用意し、そこに「五如来」の旗を東西南北と中央に立てます。


五如来は
1中央 広博身如来(こうばくしんにょらい)
2東方 妙色身如来(にょうしきしんにょらい)
3西方 甘露王如来(かんろおうにょらい)
4南方 宝勝如来(ほうしょうにょらい)
5北方 離怖畏如来(りふいにょらい)


の旗を立てるのです。


順番に如来様の説明をしていきたいと思います。


まずは1中央 広博身如来(こうばくしんにょらい)です。この如来様は毘盧遮那仏です。餓鬼は口と喉が針先のように細く食べ物が食べられません。そこで喉を広げ、食べ物がうまく喉を通るようにして下さいます。


次に2東方 妙色身如来(にょうしきしんにょらい)のお力をいただきます。妙色身如来は阿閦如来様です。阿閦如来様は餓鬼のような醜くいやらしい姿から元の美しい姿に戻して下さる如来様です。


次に3西方 甘露王如来(かんろおうにょらい)様の登場です。そうです、西方にいらっしゃる仏様ですので、もちろん阿弥陀如来様ですね。甘露の水(生命を育み魂を潤わせる水)を全ての餓鬼に降り注いで下さいます。降り注いで下さる事によって煩悩の猛火を消し去り心も体も快楽な状態にして下さるのです。


次に4南方 宝勝如来(ほうしょうにょらい)のお力をいただきます。宝勝如来は多宝如来ともいいます。この如来様は宝生如来です。そして貪りの為に生じてしまう悪い行いや考えをもつ者に宝や食べ物を施して、その者自らの清い心や他人に対しての思いやりの心を思い出させてくれます。


そして最後に5北方 離怖畏如来(りふいにょらい)様です。餓鬼の世界はいつも餓えと苦痛と恐怖に脅かされています。その恐怖を全て取り除いて下さる慈悲深い如来様なのです。この如来様こそ、お釈迦さまなのです。


これだけの如来様に救っていただけるなら安心ですね。お施餓鬼についてのお話はこちらにどうぞ。

幸せって何だっけ?

人は誰でも幸せでありたいと願っているのではないかと思います。
しかし、その幸せというものは人それぞれによっておおきな違いがあります。その幸せを求める方法あるいは形、考えといったもので区分けしたもの、それを仏教では煩悩、瞋恚(しんに)、愚痴という言葉で表して人間の抱える根本的な特質とみなしたのです。


煩悩とは人の持つ欲望といっていいでしょう、瞋恚とは怒り、すなわち他に対する無寛容、そして愚痴とは浅はかさ、他を傷つけても一向に気がつかない、といったことです。
さて、人は誰でも幸せになりたいと思っているといいましたが、では、煩悩、瞋恚、愚痴を抱えた者が本当に幸せになれるのでしょうか?


実は誰でも幸せになれるのです。それを教えてくださったのが、お釈迦様釈尊そのひとであります。


「よのひとびとはことごとく、さまざまの幸いをねがいさまざまの吉祥をねんずる。願わくは、わがために最上の吉祥を語りたまえ」と問えるものがありました。
釈尊はそれに答えて曰く。 (かなり長い偈文なので少しだけを記します)



よき環境にすまうがよい
よく父と母に仕えるは良く
つねに功徳をつまんことを思うが良い
妻や子を慈しみ養うはよく
またみずから正しき誓いをたつるが良い
正しき生業に励むはよい
これが人間最上の幸福である
これが人間最上の幸福である




他人を敬い、自らへりくだるはよく
愚かなる者に親しみ近づかぬがよい
たるを知って、恩を思うはよく
賢き人々に近づき親しむがよい
時ありて、教法(おしえ)を聞くはよい
また、仕えるに値する者に仕えるがよい
これが人間最上の幸福である
これが人間最上の幸福である

まだまだたくさん続いているのですが、これだけ見ても釈尊は特別なことを説いておられるのではなくごく当たり前のことを説いておられるのです。しかし、よくよく考えて見ますとこれらのことを実践することはかなりの覚悟が必要です。

仏教ではこういった考え方を中道といいます。



この中道という考え方をしっかりと身につけるためには、教えてくれる人が必要です。しかし、皆さんにはもう教えてくれるひとがいます。しっかり聞いていただければと思います。

三力偈 ( さんりきげ )

以我功徳力 ( いがくどきりき ) 如来加持力 ( にょらいかじりき ) 及以法界力 ( ぎゅういほうかいりき ) 普供養而住 ( ふくようにじゅう )


というお経があります。私たち天台宗のお坊さんは良くお唱えします。


以我功徳力 ( いがくどきりき )とは、自分自身の功徳の力を以て、
如来加持力 ( にょらいかじりき )とは、如来(仏)様の加護のお力
及以法界力 ( ぎゆいほうかいりき )とは、私たちの回りにある法(ご縁)の力
普供養而住 ( ふくようにじゅう ) とは、それらが普く私たちに行き渡り、お導き(成就)下さる。


という様な意味です。この三つの力がうまく合わさる事で願い事などが叶うと言われています。


ですので、いくら仏様に願っていても自分に功徳がなければ届きませんし、届いたとしても、ご縁が無ければうまく回らないのです。


ここで大事なのは、やはり以我功徳力 ( いがくどきりき )ではないでしょうか。
まずはご自分で功徳を積んでいただく事により仏様からの加護のお力を頂戴できる資格が出来るのです。もしくは、その徳の多さでご利益の大きさも変わるのかも知れません。


功徳を積む。と言っても難しく考える必要はないと思います。日常生活や、ちょっとした時に人助けをしたり、ボランティア活動に参加したり、ご先祖様を大事にお祀りしたり、家族や近所の方、地域を大事にしたり・・・仏様の御心に従い奉る真心をもって、自分の良心に従った行為をすること、自分の幸せばかりを求めるのではなく、他人の幸せも願うことです。


逆に功徳を積まないで自分のエゴだけをひたすら願う、そんな身勝手な厚かましい心が、知らず知らずのうちに波長の合う妖魔や地獄を引き寄せて来るのです。そして、そういう方は感謝の気持ちを忘れてしまっているのです。


この徳を積み上げていく行為、これがまさに仏道であり成仏への道だと言われます。


自分に徳が備わってさえいれば、必死になってお願いしなくても仏様のご加護は自然にそれ相応の分がいただけます。そんな人はそれが実感できるからいつも感謝の心で生きています。


仏様の御心に添った心で自ら積み上げた功徳力が備わってはじめて、如来の加持力と法界力の三力が感応しあい、その当然の結果として祈願も成就するというものです。

死ぬ時に後悔すること25

健康・医療編
1  健康を大切にしなかったこと
2  たばこを止めなかったこと
3  生前の意思を示さなかったこと
4  治療の意味を見失ってしまったこと


心理編
5  自分のやりたいことをやらなかったこと
6  夢をかなえられなかったこと
7  悪事に手を染めたこと
8  感情に振り回された一生を過ごしたこと
9  他人に優しくしなかったこと
10 自分が一番だと信じて疑わなかったこと


社会・生活編
11 遺産をどうするか決めなかったこと
12 自分の葬儀を考えなかったこと
13 故郷に帰らなかったこと
14 美味しいものを食べておかなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと


人間編
17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
20 子供を育てなかったこと
21 子供を結婚させなかったこと


宗教・哲学編
22 自分の生きた証を残さなかったこと
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24 神仏の教えを知らなかったこと


最終編
25 愛する人に「ありがとう」と言わなかったこと

死ぬときに後悔する事25 大津秀一

桃太郎

桃太郎

昔話の「桃太郎」は皆様ご存知かとおもいます。この昔話の本意は伝わってはおりません。内容は村の耕作物等を鬼が荒らし、その鬼をこらしめる為に、犬と猿とキジを率いて鬼が島に鬼退治に行き、鬼を退治し財宝を持ち帰り幸福に暮らした。という話しですね。ですが、これだけでは押し込み強盗とか傷害殺害事件みたいな、以徳報恨なやられたらやり返すという抗争劇でしかありません。
鬼は本当に悪い生き物でしょうか? 皆様の家の屋根瓦の一番高いところには鬼の顔を模った黒い瓦(鬼瓦)がのっているはずです。なぜ悪い鬼を大切な家の屋根瓦にのせてあるのでしょうか? 赤い鬼、青い鬼は僧侶の袈裟衣の色と同じで、修行中の鬼。高貴な色である黒、黒い鬼すなわち鬼神といい、我々を魔性のものが入り込まないように見守っているのです。怖い顔をしているので我々を導く為に悪を演じたのです。善と成るには悪は必要です。善悪不二で、必要不可欠なことです。悟りを開くには必要です。
「桃太郎」の名前ですが、桃の木には、霊力が宿り魔除けとなります。男の子は、ちいさいときは、病気に罹りやすく育てにくかった。ことから、魔物や病魔に打ち勝つ、強く逞しく育ってほしいという願いから「桃太郎」と命名したのです。
なぜ「猿」「キジ」「犬」を連れていたのか? 「申」は裏鬼門を示し隣に酉戌がいて猿を援護しています。表鬼門は、丑寅の大きく強い動物が守っているので、ここから猿、酉、戌が桃太郎の眷属となっているのです。また、「犬」は「往ぬ」で目的地に行く。(お釈迦様の境地に達する。即身成仏) 「キジ」は「生地」で、この地において有りのままの姿で精一杯に生きる。(自分の役目を果たす) 「猿」は「去る」で肉体はこの世から消滅するが魂は、霊山浄土に往くということで、現世から去る。ということなのです。
この話しは、自分自身の心の中には、人を思う心、愛し慈しむ心、人が失敗して喜ぶ心、人と争う心、人を落し入れようとする心、妬み、恨み(怨む)の心等、様々な心が常に入れ替わっています。常に自分自身を見つめ直し、正しく強い心で、正確な判断をし、思いやり慈しみの心で、日々生活して様々な人と接し自分自身の心(魂)を磨いていきなさいと言っているのです。日々「これで善かったのか?」また「総ての事に感謝」することです。感謝とは、まずお釈迦様に謝罪、反省(懺悔)することから悦びが感じ取れるのです。前をしっかり見て一歩ずつ確実に歩んでまいりましょう。たまには、休息の為に立ち止まることも大切です。
互いに精進いたしましょう。

『足跡』

ある夜、私は夢を見た。


私は、神様とともに砂浜を歩いていた。


振り返ると、砂浜には二人分の足跡が残っていた。


一つは私のもので、一つは神様のものだった。


これは、これまでの私の人生の足跡であった。


足跡を見ていると、私の人生の様々な場面が、走馬灯のように思い出さ
れた。




よく見ると、これまでの私の人生の中で、足跡が一人分しかないときが、
何度もあることに気づいた。


それは、私が辛く悲しい思いをしていた時期ばかりだった。

ああ、あの時は、信頼していた友だちに裏切られた時だ。
ああ、あの時は、失恋して落胆していた時だ。
ああ、あの時は、事業で失敗した時だ。



私は神様に尋ねた。

「神様、あなたはずっといっしょにいてくれるものと思っていました。しかし、私がもっとも辛かった時期には、一人分の足跡しか残っていません。あなたを最も必要としていた時に、どうして私をお見捨てになられたのですか?」



すると、神様は答えておっしゃった。

「いとしい大切な我が子よ。私は、愛するお前を、決して見捨てたりしない。お前をひとりぼっちにはしない。一人分しかない足跡は、お前の足跡ではないよ。その足跡は、私の足跡なのだよ。悲しみに打ちひしがれるお前を背負って歩いた 私の足跡なのだよ。」

三世と三毒

三世
仏教は、過去世(かこぜ)、現世(げんせ)、来世(らいせ)という三つの世を、人間は生き続けると考えたのです。これを三世(さんぜ)の思想といいます。
仏教ではこの世を現世と呼びます。私たちは現世に今、生きているわけですが、この現世に生まれる前に、すでに魂があって生きていたと考えます。
生まれる前の時間を過去世と呼び、過去世は長い長い無限の時だったと考えます。
過去世から、私たちは選ばれて現世に生まれて、八十年位生きたら必ず死にます。
死んでも、魂は生き続け、死んだ後の世界を来世と呼びます。
来世は過去世と同じく、やはり無限のはるかな時間を持っています。
私たちの今生きている現世は、悠久の過去世と悠久の来世にはさまれたほんの短い時間
です。
私たちはこの世での快楽だけに満足しようとしたり、この世での苦労に不平不満を吐いたりしますが、悠久の三世の時間の中では、現世なんて、ほんの一つの点に過ぎないものだと思えば、心にゆとりが生まれます。


三毒
私たちが人間として生きている以上、自分の心に抱く煩悩によって苦しまねばなりません。煩悩つまり人間の欲望が苦の原因なのです。煩悩を失くせば苦から逃れることが出来るとわかっていても、人間は死ぬまでそれを失くすことはできないでしょう。煩悩の中身を分析すれば、貪(とん)、瞋(じん)、癡(ち)の三つとなります。つまり貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい)、愚癡(ぐち)の三つで、これは人間の善心を損なう煩悩なので、三毒(さんどく)といわれています。 貪(とん)は、自分の好む対象に向かって貪(むさぼ)り求める心のことで、物に限らず、地位、名誉、富、性愛すべてに貪が作用します。人間の貪欲には際限がありません。何ごとも小欲で足るを知るという心がけが大切です。 瞋(じん)とは、自分の心にさからうものに対して怒り怨むことです。怒り怨みを持てば、その対象に敵意を抱くことになります。 癡(ち)とはおろかさですが、仏教でいうおろかさとは、教養がないということではありません。差別する心、自己中心的な考え方の人を癡愚(ちぐ)な人と見るのです。


三毒と三徳
世の人々が苦の源を作り 苦を受ける原因は 無明といってあたかも酒のごとく人を酔わせる三毒を飲むからである


無明・・・前世の業因により 現在に善と悪との識別があきらかでないこと

■三毒・・・貪(とん) 瞋(じん) 痴(ち)

●貪:ただ自己の肉体を愛するがための欲望から起こるいわゆる 六根に六え を受けること



目には色形良きを欲求して貪る
耳には好きな音楽を聴かんとし
鼻には己の欲する芳香を貪り
舌には味わい良きを欲し
身には良き飾りを欲して着物や家屋の美しきを欲し
体の骨惜しみをして怠ける
心に修養も積まず 妙法も実行しない
六根の欲望にまかせて自己さえ良ければよい
他人への思いやりも無く
他のものを掠め取るがごとく蓄え
飢えに泣く人に一飯の食も与えず
寒さに震える者を見ても1枚の着物も与えず
哀れなる人をも慰めず
他人の心を和らげるような優しい言葉もかけない
人が腹立つような言動を行う
自分はこの世に天職を持って生まれたことや
自らが修行を重ねる菩薩なることをわきまえる



●瞋:怒ること

腹立つことはそんなに悪いこととは思わなかったり
かえって怒りをもって得意としている輩がいるが 
怒りは実に恐ろしいものである
事起こって怒りをなせば その人一代に 
取り返しのつかないほどの失敗をきたす
今までに積んだ功徳を 怒りの炎で一瞬で焼き尽くす
折角 これまで人に慈悲を施し 徳を積んでも
もし一度怒ったならば その徳を焼き失うばかりか
怒りが原因となってわが身に災難を招き
あるいは病気になるなど諸々の苦悩がくる
くれぐれも慎むことは 怒りである



●痴:愚痴多きこと

我々は仏より深い慈悲を貰いながら いまだ足ることを知らず 
上を見ては羨み 諸仏の慈しみを少しも感謝せず
絶えず愚痴をいうことは 未来畜生道の苦しみを受ける因となる



■恐るべき三悪道
三悪道・・・地獄 餓鬼 畜生

三毒が基となって 悪道に落ちて
あらゆる苦悩を受けねばならない



●地獄・・・現世でも目の当たりに出現する

大震災 暴風雨 大水 賊が入る 病気 など
地獄の種の大部分が怒りで起きる



八大地獄

等活地獄 黒縄地獄 衆合地獄 叫喚地獄 
大叫喚地獄 焦熱地獄 大焦熱地獄 阿鼻地獄



八地獄に16ずつの小地獄があり 136地獄がある


●餓鬼道・・・飢えに泣いたり 胃腸を害して食べたいものも食べれない

この原因は自分だけを愛して 他から貪った結果でなる



●畜生道・・・醜く生まれたり 人から忌み嫌われたり何を話しても人から信じれれないこれは 愚痴によって作られる


■三徳
施しのこころを持ち 柔和忍辱(にゅうわにんにく)にし愚痴を改めて仏の知恵と変える


●慈悲・・・すべて自分が欲することは 他人も欲するとの(布施の徳)思いやり持ち 分に応じた施しを行う

悲しみに遭った人は慰め 一言半句も他人の
感情を害さないように気をつけて 心を和らげることは施しとなる
自己の修養を励み 他人に妙法の真実を教え
善導することは最上の施しとなる  



●勘忍・・・どんなことでも腹をたててはいけない腹が立つことが起きるのは 自分の因果である決して他人が悪いのではない

どうしても腹が立つときは
ああして私の心を試練してくれている
と悟って勘忍すると 大きな功徳となり
過去の罪の消滅になる
勘忍して沢山の徳を得ること



●至誠・・・他人を喜ばすことを自らの喜びとなす経文がいかに有難くても 実行しなければなんにもならない

三毒を飲まず 三徳を実行することが大事である。