東福寺

菊池氏ゆかりの寺

東福寺.psd

御本尊

千手観世音菩薩行基菩薩一刀三礼の作と伝わる等身大の立像であり、昔は七年に一回の開扉の秘佛である。現在は毎月十八日開扉している

ご詠歌

到福を伝えて急ぐ身は渡りに舟を得んここちすれ

寺宝

不動明王掛軸鎌倉時代の作、或は唐伝来と伝わる。本尊、脇士不動毘沙門天(室町初期作)三体と、不動明王掛軸は県指定の重要文化財である。菊地家二十五代肖像画二十五本江戸末期画家来鳥作がある。

縁起

肥後国史に依りますと「朱雀帝天慶元年(九三八)天台沙門大僧都法印澄慶開基、久修練行の道場にて三十六坊有す。時の国司尾藤隆房大檀那となりて佛殿堂塔成就」とあり「冷泉帝安和元年(九六八)勅使下向の綸旨の写并び圓融帝天元四年(九八一)寺領寄附印證の写し之れ有り。又菊池氏始祖大夫将監則隆、延久二年(一〇七〇)の寄進状之れ有り」と伝え、外にも村上堀川歴代天皇の綸旨有った事を伝えており、当初より朝廷及び地方に於て信仰の厚い寺であった事が伺える。当山は菊池武光、正観寺建立迄菊池氏菩提寺であった為、境内及び近隣には一族の墓が現存し、特に坊舎の一つ歓喜院跡地には菊池武重公墓所が整備されている。初め天台宗なり、武光公当山を再興して禅刹とし菊池五山の第一に据えている。「五山とは九儀山大琳寺、袈裟尾山北福寺、輪足山東福寺、無量山西福寺、手水山南福寺であるが、菊池氏衰弊の後は悉く頽転し微かに当山のみ残れり。以後旧の天台に復したるなるべし」と伝えている。

交通アクセス

電鉄バス、熊本発菊池温泉行、終点より徒歩約十五分。山門石段迄は自家用車でも行ける。

住職の閑話

一僧侶の想い

当山のある菊池市は、南北朝時代九州に於ける南朝方の雄菊地氏の本拠地であり、当山ならび近隣には菊池氏及びゆかりの方々の古墓石塔が多くあり、南北朝の歴史を彷彿とさせる。その後に来る戦国争乱の時代、幕末期より列強国の進出による世界規模の争乱、現代に於ても各地に於ける紛争は未だ治まってはいません。人々は家族を守り、地域を守り、国を守る為には、争いを経験しなくては平和は望めないものでしょうか。正義を鳴らし相手方の非を責めるは人類の業でしょうか。真の平和は大自然の叡智摂理が示しているものを、有為と寂静とは同次元であるものを。世界各地で成立した宗教は地域の人々の生きる灯となって今日に至っています。現在は世界規模で手をつながなくてはならない時です。心を開き理解し合い、真の平和の到来を願ってやみません。