七世紀頃建立された九州最古の仏蹟
御本尊
薬師瑠璃光如来七世紀作と推定され、椿樹一木彫りで、一本の椿の樹から薬師仏日光・月光菩薩、十二神将を刻んだ立像である。
寺宝・文化財
武蔵寺境内全域(史蹟文化財指定)武蔵寺縁起絵図(宝町時代一条幅)経筒(平安時代)長者の藤(天然記念物)大板碑、古石塔群(南北朝時代)薬師三尊と十二神将図(条幅)蝶鳥唐草八稜鏡
年中行事
護摩祈祷星まつり彼岸会(春秋)花まつり薬師藤まつり(開山祭)瓜封じ病封祈願(土用丑の日)盂蘭盆会施餓鬼会地蔵会写経埋納法会(毎月の写経を埋納)御牘納めの儀除夜の鐘
縁起
武蔵寺は開山縁起によると、二日市温泉発見者藤原ふじわら虎麿とらまろ(初代大だ宰ざい帥蘇のそつそ我がの日向ひむかの臣おみ無む邪や志しと同一人物)の建立、伝教大師の開山といわれている。物語によると、孝徳帝(六四五―六五五年)の頃、近くの山間に怪火が出て住民が脅えていると聞いた虎麿は、家来を連れて退治に出かけた。山に入り、怪火めがけて弓で矢を射ったところ命中、怪火は消えた。矢は十二の枝をもつ天にもとどくようなツバキの幹に当たっていた。その夜、虎麿の夢枕に薬師十二神将のうちの摩ま虎ご羅ら大将が現れ、「このツバキの樹で薬師三尊、十二神将を彫り寺を建てよ」と告げた。そこで虎麿は、良工を招いてこのツバキを伐り、薬師如来の像を刻み、天拝山の麓に一堂を建て像を供養し拝んだ。これが武蔵寺のはじまりとされる。やがて寺は栄え、七大伽藍と子院五十有余坊を有するに至った。武蔵寺の名は中央にも知られ、本朝無題詩集、簗塵秘抄、今昔物語、宇治拾遺物語等に見られる。現在も深遠な法灯、清澄な教風を受け継ぎ、山門、鐘楼、開山堂、本堂、大黒天堂、観音堂、地蔵堂、稲荷堂、瑠璃光殿、蓮華廟、経塚一字一石般若心経塔、隷書般若心経塔、一字一石観音経塔、古石塔群、筆塚、茶室、心字池等からなり千古の法灯を護持している。
交通アクセス
西鉄二日市駅下車、二日市温泉行バス終点下車、徒歩一〇分JR九州二日市駅下車徒歩一五分高速バス筑紫野下車徒歩五分
住職の閑話
仏教の教えには、「諸行無常」、「諸法無我」、「涅槃寂静」の三本柱が説かれている。万物は常でない。変化して少しの間もとどまらないのである。一時間前と今の自分は違う。変化している。それらすべてのものは、なにかの縁によって生かされているのである。お父さん、お母さんの縁によって自分は生まれている。いかなる存在も永遠不変の実体を有しない。そんなことがわかってくると、いわゆる仏の世界に入る。煩悩を断じた悟りの世界は、心の静まった安らぎの境地と説かれている。お参りされた方々には、境内に足を踏み入れただけで、仏のご加護、冥加により悩みや苦しみが自然に消え去ることを念願している。